小次郎の話

ペットを飼わないのには訳がある。

かなりワガママを言って犬を飼うことになった。
ヤツの名は「小次郎」と言う。豆柴系の雑種だったが、毛色はジャーマンシェパードそのもので、(親の贔屓目を差し引いても)かなり「男前」だった。
精悍な風貌に似合わず臆病なヤツだった。必要以上に水を怖がっていた。水溜りは平気だが川を異常に怖がった。例えば散歩に行くにしても必ず川から一番遠い部分を歩こうとしていた。*1
喧嘩が弱かった。大家さんとこも犬を飼っていて、この犬とよく喧嘩してた。ヤツはいつも噛み付かれてキャンキャンいってた。野良犬に犬小屋を占領され、外でショボンとしてる事もあったっけ。
しっかり躾けなかったのでかなりの馬鹿犬だった。よく脱走し、呼んでも戻ってこない。近づいて来た所をつかまえようとしても、上手くかわされて逃げられた。でも散々遊んでお腹が空くと何事もなかったような顔で帰ってきた。
ヤツが成犬になった頃に病気になった。何かの皮膚病で、顔の大半が瘡蓋で覆われていた。痒みがあるらしく、近づくとかならず顔をこすり付けてきた。通院させていたが治る気配はなく、かわいそうだった。
そのうち俺は上京してヤツと離れ離れになった。2ヶ月後、ゴールデンウィークに帰省した時、無言でヤツに近づくと吠えられた。「誰に向かって吠えてんだ?」と声をかけると、とたんに尻尾を振って愛想を見せる。どうしようもない馬鹿犬だ。
ある日、実家に電話するとヤツは逃亡して戻って来なくなったと聞いた。餌で釣ってもダメ。見つけても捕まえようとする気配を察知して、近づく前から逃げられるのでどうしようもない。やがてその姿さえ見ることがなくなったらしい。
しばらくして、母からヤツが死んだ事を聞いた。知人から知らされたそうだ。知人の話では、「ヤツらしき犬がいたので声をかけたが、ヤツはそのまま走り去った。走っていった方向には線路があり、運悪く走ってきた電車に飛び込むようにして轢かれた。電車も警笛を鳴らしていたが、ヤツに気づいた様子は無かった。」という状況だったらしい。知人はヤツを手厚く葬ってくれたそうだ。
今になって、実はものすごく頭のいいヤツだったのではないかと思ったりする。ヤツは我々家族の事を考えて脱走したのかもしれない。病気の事なんかで迷惑をかけないようにと。死期を察して自ら命を絶つことを選んだのではないかと。

犬を飼いたいと思ってるし物理的にはいつでも飼える状態である。しかし、本当に飼い始めるにはまだまだ覚悟が足りない。天国にいるヤツも「まだお前には無理だな」と思っているだろう。

*1:雨の少ない地域なので、いたる所に用水路があった。